PanasonicアラウーノSIIの使い心地
気付けばご無沙汰になっていました。
そして気付けば新居に引っ越して2度目の年の瀬です。
そこで、これからしばらく、1年以上使ってきた設備の使い心地を紹介していきたいと思います。
今回は、1階トイレに採用したPanasonicのトイレ、アラウーノSIIの使い心地についです。
アラウーノの特徴は、四角張った形状。
当然、便座の形状も四角いので、通常の丸い便座に座り慣れているとちょっと変な座り心地です。
でも、慣れてくると全く違和感なく、むしろフィット感を感じるようになります。不思議。
アラウーノの最大の特徴は、その名の通り自動で洗浄してくれること。
洗剤をセットしておくと、流した時に自動的に泡が出て、流すと同時に便器を洗浄してくれます。
洗剤がもったいないという人は、この機能をカットすることも出来るので安心ですよ。
そして、この洗浄機能を流用した機能がハネ防止機能。
あらかじめ洗剤の泡を張っておくことで、便器からのハネ返りを防ぐ機能。
これもかなりありがたい機能です。
リモコンはこんな形状とボタン配置をしています。
機能が多いだけに、ボタンの数も多めです。
ちなみに電池はつい先日交換したところです。
当然入居時に新しい電池を入れたので、約14か月はもつことになりますね。
トイレというとTOTOやLIXILのものを入れる人が多いと思いますが、Panasonicのトイレも充分にお薦めできますよ。
Panasonicのトイレも侮れないと思った方、クリックよろしくお願いします。
増税でも大丈夫!?すまい給付金をもらおう
消費税が10%になり一か月が経ちました。
わずか2%されど2%。
特に大きな買い物をした際には影響が大きいですよね。
例えば2000万円の家を建てた場合、2%といっても40万円になります。
設備を1個諦めるかどうか思わず考えてしまう金額です。
でも、国もその辺はちゃんと考えていて、消費増税に合わせた給付金を用意しています。
それが、すまい給付金です。
すまい給付金は、消費増税に伴う負担を軽減するために現金を支給するという、夢のような制度。
なんと申請するだけで最大50万円が支給されます。
ちなみに消費税8%の時点で家を購入した人の場合は、最大30万円。
増税に伴って給付金額も大幅に上がっていますね。
もっとも、給付を受けるには条件がいくつかあるので申請前に確認が必要です。
上記の他、収入が一定額以上の場合は給付を受けられないので高収入の人は要注意です。
うちは全然心配するような収入じゃなかったのでもらうことができました。
条件について不安な人は、住宅会社に対象かどうか聞けば多分教えてくれるんじゃないでしょうか。
必要書類も色々あるので、揃えるのも一苦労。
住民票とか建物の登記簿謄本のような公的なものから、工事の請負契約書、住宅ローンの金銭消費貸借契約書まで必要になります。
ちゃんと家が建った後でも契約書類はとっておきましょう。
それと、給付額は家の持分割合によって決まります。
100%自分の持ち家なら問題ありませんが、夫婦や親子で持分を分けている場合、その分給付額が減るので要注意です。
我が家の場合、妻と二人で持分を分けていたので満額はもらえませんでした・・・
最後に、申請期限は引き渡しから1年以内です。
うっかり忘れてるとせっかくの給付を受けることができなくなるので、条件を満たしている人は忘れずに申請するようにしましょう。
増税のあるなしにかかわらず、家づくりをしていると1円でも多くお金が欲しくなるので、こういった給付金は本当ありがたいですね。
お金がもらえるなら絶対申請する!と思った方、クリックよろしくお願いします。
柿の収穫2019
我が家の庭には柿の木があります。
柿はデリケートなので建て替えのあった去年は実が実らないことも覚悟していましたが、蓋を開けて見れば例年通り実りました。
では、環境が変わって一年たった今年はどうでしょう。
見事に実を実らせてくれました。
本当に見事な実りっぷりです。
我が家の柿はほんと図太いというかマイペースな性格しているようです。
まだちょっと早いかもと思いつつも、あまり熟しすぎても食べ時を逸してしまうので、天気の良かった今日収穫することにしました。
脚立と高枝切りバサミを駆使しての収穫です。
見事、これだけの柿が採れました。
とても我が家だけでは食べきれないので、近所にも配ってきました。
お隣さんはミカンが実っていたのでトレードしたり。
近所付き合いって大事。
ちなみに庭を見渡せば、菊の花も咲いていました。
そして、季節に関係なくバラはフリーダムに咲いています。
柿美味しそうと思った方、クリックよろしくお願いします。
災害時の教訓~稲むらの火
先日、バスツアーで千葉県銚子市にあるヤマサ醤油に行った時の事。
敷地内のショップで、こんなものを見かけました。
「稲むらの火」という言葉、実は最近別の場所でも聞いていました。
それが東北旅行で泊まった「KIBOTCHA」
ついでに施設の職員さんからも熱く語られました。
この「稲むらの火」というのは、実話を元にしたお話で、昔は道徳の教科書にも載っていたそうです。
さらに、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが小説にしたことで、世界的にも有名なのだとか。
超簡単に要約すると、以下のような話になります。
江戸時代の頃、ある村で大きな地震が起きました。
しかし村は折しも祭の真っ最中。
村に大きな被害がなかったこともあり、村人達は祭りを続行します。
そんな中、荘屋の五兵衛だけは不吉なものを感じ、高台にある自分の家の庭から海を見下ろしました。
すると、大きな波が村に迫っているではないですか。
祭に興じる村人は誰一人気付いていません。
このままでは村が波に飲まれてしまうと考えた五兵衛は、自らの田んぼの稲束に火をつけることにしました。
五兵衛の目論見通り、火を見た村人たちは火を消し止めるべく、続々と高台へと登ってきました。
直後、津波が村を襲います。
財産でもある稲束を燃やした五兵衛の覚悟と機転により、村人たちは命を救われたのでした。
大体こんな感じのお話なのですが、これは教科書に載せるために脚色したお話。
実際には、夜に津波が来た際に、どこに逃げればいいのか分からない村人たちの目印になるように稲束に火をつけたようです。
冷静に考えると、大地震の後に祭りとかやってられないだろうとか、田んぼが燃えてるの見たら逆方向に逃げるだろうとか、ツッコミどころも多いわけですが。
とにかく、災害時はとにかく逃げることが大事ということを教えてくれる話ですね。
今年の台風でも避難の遅れで被害が拡大した面もありますし。
もっと細かく話の内容を知りたい方はこちらをご覧下さい。
この津波が実際に起きたのは和歌山県なのですが、なぜか和歌山から遠く離れた千葉と宮城で短期間の内にこの逸話に接することになりました。
それというのも、醤油は元々和歌山が発祥の地。
ヤマサの創業者も和歌山から千葉に渡ってきて醤油づくりを始めたそうです。
宮城は、時代は違えど津波を受けた被災地繫がりですね。
この記事を書こうと調べていたらこんな動画を見つけたので、最後に紹介しておきます。
・・・なぜ英語?
災害時には判断力が大切なんだねと思った方、クリックよろしくお願いします。
【建物見て歩き】被災建物を見ながら防災について考える
昨日はすさまじい台風でしたが、皆さん、大丈夫でしたでしょうか。
被害に遭われた方は、少しでも早く日常生活に戻れるよう、お祈りしております。
東北の旅でも、東日本大震災の爪痕をいくつか目にしてきました。
泊まった「KIBOTCHA」も被災した野蒜小学校を再利用した建物ですが、その周囲には被災した当時の姿をそのまま残した建物が点在していました。
これは今も使われている公共施設。
被災した部分はわざと防災教育用に被災時そのままに残しているようです。
鉄骨部分は補強しているのが分かりますね。
この辺りは津波だけでなく、波に流された家や自動車や倒木が大量に流れてきたようなので、幾ら鉄骨の建物とはいえ只では済まなかったのでしょう。
こちらは木造の建物。
1階部分の壁の損傷がひどいです。
これでは、家自体が無事でも住み続けるのをためらってしまうかも知れません。
現在は駅自体は高台に移動しています。
路線の走るルート自体が変わってしまったんですね。
そんな中、震災でも全く無事だった石倉も残されていました。
同じ災害にあっても残るところは残るんですよね。
数件ですが被災建物を実際に見たり、直近の台風の被害を見て思ったことは、もちろん頑丈な家、地震に強い家に建てることは大切ですが、逆にどんなにいい家を建てても津波や竜巻が襲って来たり、電柱なり鉄柱なりが倒れかかって来たりしたらどうにもならないなあ、と。
それよりも、選ぶ余地があるならなるべく災害の少ない土地を選ぶことが重要なような気がします。
最近は何十年に一度だの史上初だのの災害が発生するので、それでも万全とは言えませんが。
でも万全を期したら後は運を天に任すしかないですよね。
災害への備えは大切と思った方、クリックよろしくお願いします。
【建物見て歩き】蘇った被災建物
さて、床の塗装から始まった東北旅行。
2日目は福島から更に足を延ばして、宮城県は松島に行ってきました。
もっとも、宿泊したのは観光地として有名な松島ではなく、さらに奥にある奥松島。
そこにある「KIBOTCHA(キボッチャ)」という宿泊施設です。
この建物、何かに似ているとは思いませんか?
もう少し距離を取って全体像を映してみましょう。
そう、この建物、元々は小学校だったんです。
しかも、この小学校は東日本大震災の際に、1階部分が完全に水没したそうです。
1階エントランスの看板の上にある染み。ここの部分まで水がやってきたとのこと。
このKIBOTCHAは、津波被害を受けた旧野蒜小学校跡地を利用した防災施設なんです。
東日本大震災の時、松島は島々が防波堤代わりになって津波の被害は少なかったんですが、奥松島の野蒜地区は島のない海に面していたために津波による甚大な被害を受けたそうです。
その記憶を後世に伝えるために作られた施設の一つなんですね。
もちろん、宿泊場所に選んだくらいなので宿泊もできます。
かつての教室を改装した客室がこちら。
元小学校とは思えないくらい綺麗でモダンな部屋でした。
でも布団を敷くのはセルフサービスです。
廊下に出ると元小学校であることがよく分かりますね。
部屋にトイレや洗面台はないので、その辺は学生時代を思い出して共用のものを使用しました。
ちなみにお風呂は元職員室だった部分を改装した大浴場。
温泉ではありませんが並の温泉宿よりも大きな檜風呂でした。
でも床なんかに結構黒カビが出ていて、やっぱり檜風呂にすると管理が大変だったんだなと思い知りました。
さて、この施設はあくまで防災施設ということで、防災関連の施設も当然あります。
ここは被災時に校内にあった時計や黒板を展示している展示室。
他に、被災者のインタビュー映像がほぼエンドレスで流れています。
それ以外にも、実際に救命訓練やロープワークの練習ができるコーナーや、
遊具を使って子供に防災知識を学ばせるコーナーもありました。
私達は宿泊だけをしてきましたが、申し込めば防災キャンプとして野外生活体験も出来るようです。
震災建物を残しつつ、それを有効活用するこういった施設は、貴重で重要だと思いました。
貴重な体験ができました。
次回は、大震災の爪痕を巡ります。
こういう建物の活用方法もあるんだねと思った方、クリックよろしくお願いします。
【建物見て歩き】昔ながらの温泉街を往く
忘れた頃にやってくる建物見て歩きシリーズ。
今回は珍しく、前回記事からの流れでお送りします。
家の床を塗装した関係で家にいられなくなったため、旅行に行かざるを得ない状況に陥っていたわけですね。
実際、前回は3日くらい乾かなかったので、最低1泊はしてこないといけないなと思ってました。
そこで今回行くことにしたのは東北地方。
写真は宿の窓から撮った風景です。ビックリするほど長めの良い部屋でした。
この飯坂温泉は、かつて松尾芭蕉も訪れたという伝統ある温泉地。
公衆浴場も味のある建物になっています。
街中には普通に倉が並んでいたりして、古い町並みを楽しむことができました。
中でも、江戸時代から続く豪農・豪商の旧家・旧堀切邸は無料で一般公開されていました。
この一族、大正から昭和にかけて衆議院議長とか東京市長とかを輩出しているすごい一族。
残された通称『十間蔵』もかなりの巨大さでした。
そして主屋もすごく立派。
外観のみならず、家の中も素晴らしかったです。
こんな和室を作ってみたかったですね。
この部屋はカーブしている天井が個性的でした。
こういうところを見ると、家づくりの前にもっと多くの建物を見ておくべきだったかなと思えて来ますね。
次回は、今回の旅の主目的だった2日目の宿泊地を紹介します。
古い町並みもいいねと思った方、クリックよろしくお願いします。