【建物見て歩き】蘇った被災建物
さて、床の塗装から始まった東北旅行。
2日目は福島から更に足を延ばして、宮城県は松島に行ってきました。
もっとも、宿泊したのは観光地として有名な松島ではなく、さらに奥にある奥松島。
そこにある「KIBOTCHA(キボッチャ)」という宿泊施設です。
この建物、何かに似ているとは思いませんか?
もう少し距離を取って全体像を映してみましょう。
そう、この建物、元々は小学校だったんです。
しかも、この小学校は東日本大震災の際に、1階部分が完全に水没したそうです。
1階エントランスの看板の上にある染み。ここの部分まで水がやってきたとのこと。
このKIBOTCHAは、津波被害を受けた旧野蒜小学校跡地を利用した防災施設なんです。
東日本大震災の時、松島は島々が防波堤代わりになって津波の被害は少なかったんですが、奥松島の野蒜地区は島のない海に面していたために津波による甚大な被害を受けたそうです。
その記憶を後世に伝えるために作られた施設の一つなんですね。
もちろん、宿泊場所に選んだくらいなので宿泊もできます。
かつての教室を改装した客室がこちら。
元小学校とは思えないくらい綺麗でモダンな部屋でした。
でも布団を敷くのはセルフサービスです。
廊下に出ると元小学校であることがよく分かりますね。
部屋にトイレや洗面台はないので、その辺は学生時代を思い出して共用のものを使用しました。
ちなみにお風呂は元職員室だった部分を改装した大浴場。
温泉ではありませんが並の温泉宿よりも大きな檜風呂でした。
でも床なんかに結構黒カビが出ていて、やっぱり檜風呂にすると管理が大変だったんだなと思い知りました。
さて、この施設はあくまで防災施設ということで、防災関連の施設も当然あります。
ここは被災時に校内にあった時計や黒板を展示している展示室。
他に、被災者のインタビュー映像がほぼエンドレスで流れています。
それ以外にも、実際に救命訓練やロープワークの練習ができるコーナーや、
遊具を使って子供に防災知識を学ばせるコーナーもありました。
私達は宿泊だけをしてきましたが、申し込めば防災キャンプとして野外生活体験も出来るようです。
震災建物を残しつつ、それを有効活用するこういった施設は、貴重で重要だと思いました。
貴重な体験ができました。
次回は、大震災の爪痕を巡ります。
こういう建物の活用方法もあるんだねと思った方、クリックよろしくお願いします。